間に言葉を置くこと

理解しえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。
鷲田清一「対話の可能性」序文より

4年ぐらい前だったでしょうか、せんだいメディアテークの「対話の可能性」というプロジェクトの序文のこの言葉は、私の心に強く残っています。

 対話というのは、その前提に立ってなお、何か断片でも響きあうものが生まれることを祈るように「間に言葉を置くことなのだ」と受けとめました。

ここ6年ほどは主に仕事のためにブログを綴ってきましたが、何かそれに括られないところで、インターネットという空間に言葉や日々の眺めの断片を置いておきたくなりました。

このブログは、そのための空間です。

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