「不知不識の間」に育つ身体智。

ナチュラリゼーション創世記: DNAに組み込まれた最強の運動プログラム。 (まつじゅんブックス) 

師の著書のあとがきに触れ
私は、「文化のなかの野性―芸術人類学講義 」という
中島智氏の本の中のいくつかの言葉を思い出したりもした。

知識というものは実はそういう未知なる位相に開かれているものなのです。ところが仮に客観的で普遍的な一義的なる世界を西洋近代主義的なイデーとして信じてしまうと知識というものは教科書のように枠に囲まれたものになってしまいます。ここでは知識を得ることによって未知は減少していくものであるといった錯覚に陥ってしまいやすいのですね。
 さきほど私が述べましたように、ほんとうの知識というものは世界の多様な顔の前にあって次に表れる世界の表情や位相を予感し意志するための方便でしかなく非常にあいまいで仮初めのものでしかないのです。ですからほんとうに知るということは知るということと同等かそれ以上の未知を同時に抱え込んでしまうものなのです。
文化の中の野生/中島智 現代思潮社

 「不知不識の間」に育つ身体智。
そういうものが確かにあると、少なくとも私は感じてきた。
それは言葉で切り分けるほど、
知ったつもりになるほど、
それから離れていく。

アフリカで「文字(西洋教育)を学んだ者には秘密結社に加入させない」といわれる理由も、ある畳職人が「最近では弟子は一人しか取らない。同時期に二人以上取ると話し合いをしてしまって、観念的な初歩のレベルで結論を出し判断を下してしまう。師匠がいっていることが身体でわかるまで精進しなくなるから一人前の職人にならないのです。」といわれる通りです。それに比べて先の階梯制(これも7年でした)では、まだ先の知識段階があることを若者たちが知っていて、とにかく無心にマスターしていくことに専心しますから深い知識が永い間伝承され続けてこられたわけですね。

文化の中の野生/中島智 現代思潮社 

 ナチュラリゼーションには、いわゆるコミュニティ的なものがない。
私は、それは正解だと思う。

一人であることが、基本、苦にならない私でも
もちろん時には少し心細くなることもある。
それでもやはり、身体でわかるまで精進以外の答えはないと
続けるほどに実感する。

 

文化の中の野生/中島智 現代思潮社裏表紙

文化の中の野生/中島智 現代思潮社

 

今月は、長い間持て余してきた
右仙腸関節の動きに弾力性が生じるようになってきた。

徒手的なアプローチはもちろん
ストレッチポールなどを利用した
動きを出すためのエクササイズ
いろいろやってもどうしても変わらなかったこと。

ナチュラリゼーションと時間が
またひとつ、諦めなくて良かったと
思える瞬間を贈ってくれた。