12年

家とサロンの大掃除をしつつ、PCやWeb上のデータも整理整頓したりで気付けば1日が終わるような年末。

1年を振り返ると同時に、サロンでの6年を想うとき、それ以前の6年もまた同時にひとつの流れとして感じられ、12年という大きなひとくくりのように思えます。

開業以前のその6年間の学びがあったから、ここでの6年があり、それはまもなく次のフェーズへと向かうけれど、改めて、その源流にあった厳しくも暖かい導きに深い感謝を覚えます。

 

6年前、今のように何か潮の流れが大きく変わり始める頃に読んだ
ジャン・マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオの「歌の祭り」
その中の一節は、今読み返すと当時とはまた違った感触も加わりながら、響いてきます。

以下は2011年1月22日の日記から。

 

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私は、特に187頁からの
「ミチョアカン州サン・ファン・パランガリクティロでの舞踊」という章の描写が好きだ。
 
司教から、インディオたちがキリストの祭壇の前で
彼らの異教徒的儀礼の踊りを踊ることを禁ずる命を受けたサン・ファンの司祭が
その禁令の告知後のある夜、耳慣れた音を聴く。
それはインディオたちが踊る足の音。
インディオたちが禁令を犯したのだと怒った司祭が教会に行って確認するが
そこには誰も居ず、静まり返っている。
そんなことが一晩中何十回も続き、とうとう司祭は理解する。
そこからの一節を、少し引用してみる。

サン・ファン・パランガリクティロのキリスト、火山パリクティンが噴火したとき溶岩流をくい止めた全能のキリストは、司教の決定が気に入らなかったのだ。キリストは彼の教会で人々が踊り続けることを望んだ。それがキリストの好む踊りだった。こうして、教会はその扉をふたたび踊り手たちに開き、その日以来、かれらは二度と踊りをやめていない。

 

 キリストが愛したのはその音、彼に語りかけ、彼の耳にもっとも甘美な音楽だった音であり、十字架にかけられていることの苦しみをやわらげてくれる唯一のものはその音だった。教会の柱と柱の間にあって、その場で飛び跳ね、三歩進んでは二歩さがる素足のたてる音。誰も話さず、音楽はなく、祈りもない。ただ地面を打つこれら全ての足の、鈍い音だけ。まるで何かを読もうとしているかのように少し身体を前傾させ、肘を体にひきつけた男たち、女たち、子供たちが、若者も老人もなく、踊りながら祭壇へと進み、ついでぴょんぴょんと飛び跳ねながら、両脇へと別れていく。


ジャン・マリ・ギュスターヴ・ル クレジオ 「歌の祭り」 

 

踊ることが、すなわち祈りである。
その力強い響きと、恍惚とした昂りと静寂とが
同時に押し寄せてくるような気分になり
大地に根ざす深紅のエネルギーを感じさせてくれる。

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