湧活

丸1日、その先生のお話を聴けただけでも大きな価値があると感じた3日目。
おそらくその先生でなければ伝わってはこなかったかもしれない、「見ようとしなければ、見えなかったこと」に深く考えさせられた。
それは、カリキュラムからは少し逸脱しても、今伝えなければいけないこと、伝えたいことを語る、現場に生きてきた人の声だからだろうと思う。
その声はやはり肚から出て、肚に届き、それだけではなくその後帰宅してからもずっと胸に何かを押し上げ続けているようだ。

割と最近「有責」という言葉に触れ、色々と感じることがあったばかりだが、それは肚に届いた声から生じた、今という時代を生きる一人としての「有責」の感覚、それを今自分の立っているところで何らかの形で表に現れる行為にしていきたいという胸へ喉へと上がっていくエネルギーの流れでもあるような気がする。

そして、そんな感触を覚えながらの「立つ」ということに、また少し違う調和の仕方をした身体感覚を発見してもいるし、ただ物理的に開くだけではない「口を開く」や「声」は、そこから生まれるものなのかもしれないと感じてもいる。

むしろ自らが「湧活」されたような3日間だった。

 

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