成熟

そういえば、昨日、生き辛さを感じている若者の心を表しているようだと紹介された曲がある。


でも、その許容量が違うだけで、大人の中にもそんな面がありはしないだろうか。
むしろ目を背け、困っていない振りをしていないだろうか。

 

「彼らは弱い人間ではなく、悩み抜く力を持った人たちなのだ」
長谷川俊雄先生は言う。
そして、こう語りかけたりもするそうだ。

「悩む力と、『助けて』と言える力があれば大丈夫。」と。

 

馴染めない場や、馴染めない考えの中に居る必要はないと伝えつつ、居場所を共に創っていくこと、探していくこと。私のような仕事であれば身体の中で「あるがままの素晴らしさ」や「可能性」の発見に寄り添うことも「居心地」を創るひとつの援助になり得るかもしれない。

ただ、その上で広義の社会から孤立させない視点を忘れないことが支援者に求められることと私は理解した。
それが欠けていたら多分、独りよがりで無責任な導きになってしまう。

支援者もまた「助けて」と言え、助け合える関係性を持っているということも大切なのではないだろうか。

 

自分の立ち位置にしっかりと立つための自立は大切だが、私たちの生活は誰一人として真に自立はしていない。口にするものも、用いるものも、誰かの手に担われて作られ、届き、決して独りで生きていられるわけではない。

それをただ「知っている」ではなく、ありありと感じ、助け合いながら有難く生きられること、それが「成熟する」ということなのではないかと私は感じている。

 

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