純真な問い

昨日の出張講座の際に
ナチュラリゼーションを続けている中で
気付くこと、感じる事から
子どもの頃にご自身の身体に対して
感じていらっしゃった違和感や問いを
それを感じた時の情景と共に
思い出されるようなことがあるというお話を伺った。

今の様に豊かに情報があったり、
教授法やコンディショニング法が充実していた訳ではない時代
それをどうにかすることができた訳ではないけれど
「子どもは、本質を感じ取っているものだと思った」
という言葉がとても印象的だった。

少しずつ明らかになっていくものが
幼いころの問いや心情・情景を
鮮やかに再生するような時が私にもある。

その後何十年も忘れていたようで
忘れていなかったことが
自分自身を導くものなのかもしれない。

問いを立てることができても
問いを寝かせておくことや
問いを深めていくということが
苦手だったり、出来ない子がやはり少なからずいる。
もっともそうな答えに安心して
思考停止してしまう。

適切な導きやサポートをすることは大事だけれど
その子ども時代の純真な問いが立つ隙間も
試行錯誤を見守る時間もまた
尊重されるべきもののように思う。

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花弁がゆっくりとカールし始めた。