週末の徒然

奏楽天使

ロッソ・フィオレンティーノの『奏楽天使』は
何故かとても心惹かれる作品。

長田弘さんの『奇跡―ミラクル―』の表紙にもなっている。

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天使がその身体よりずっと大きいようなリュートに
もたれかかるようにしている姿や、表情から
リュートに触れている耳には
その音がどんな風に聴こえているのだろうかと
想像してみたりもする。

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耳で聴くだけでなく
身体全体でその響きの中にいるかのような
その姿がとても愛らしく、そして美しい。

 

意識との付き合い方

昨日も同様のことを仰っている方がいらしたが
ナチュラリゼーションの中でも、暫く他のワークに熱心になっていて
ふと気付いたら熱心になっていたワーク以外のワークが変わっていた。
そんなことがよくある。

例えば、股関節や足のワークをテーマにしていたのに
そういえば、と指立ちのワークで手に変化を覚えるような。

「熱心さ」にはまだ過剰な何かがあったり
欲が邪魔しているのかもしれないと思った。

その方が、そんなことを仰った。

私もある程度テーマを持って取り組んだりするが
注意を向けてやっているところではないところに
むしろ何かが起こるのかもしれないというような感じで
そこから派生する変化を捉えているような面がある。

ある意味では意識を逸らすために意識を使っているような(笑)
と言っても、それを意図してというより
結果としてそうなっている感じ。

それが良いか悪いかはわからないが
そうした意識との付き合い方から生じる
間接的な作用の表れが面白い。

 

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