嵐の晩の徒然

All art constantly aspires towards the condition of music.

 

嵐が通り過ぎる晩

ウォルター・ペイターの『ルネッサンス』を再読。

 

すべての芸術は音楽の状態に憧れる

 

という彼の有名な言葉も
以前とはどこか違った響き方をするが
今、最も鮮やかにその文字が立ち上がって来るように感じられたのは

「結論」のところの数行だった。

 

顔や手足の明瞭ないつも変わらぬ輪郭は、われわれ自身のもつ影像で、その影像のもとに顔とか手足とかをまとめているだけのこと、……言わば、織物の模様で、実際の糸そのものは、模様を超えて外に及んでいる。少くともこういう焔のような性格を、われわれの生命はもっている。つまり生命とは、一瞬ごとに新たなるちからの共同作用で、その力は、遅かれ早かれ、別れて別の方向に進んでしまう。

 

われわれの経験がかくも華々しくしかも恐ろしいまでに短いことを意識し、全存在を糾合して見ること触れることに必死の努力を注ぐならば、見るもの触れるものにまつわる理論を組立てている暇などありはすまい。なさねばならぬのは、つねに好奇心をもって新しい意見を検証し、新たな印象を求め、コントの、ヘーゲルの、あるいはわれわれ自身の安直な正統論に易々として服従しないことである。


須賀さんの「神曲」を通じてダンテに触れてから
ペイターのボッティチェルリやミケランジェロへのまなざしに触れ
その余韻を心のどこかに響かせながら
彼らの遺した作品に再び触れるとき
自分は何を感じるのだろう。

ルネサンス 冨山房百科文庫 (9)

 

 

スケッチ

昔、自分が思い描いていた
心身がひとつにまとまる感覚と
今感じているそれは違って
胸から上の調和から導かれる
ハラの柔らかな充実と共にある居心地は
むしろ1になるというより
ゼロ化するような感触だなと感じたりもする。

などと言語化した途端に
それは違うものになってしまうような気もするが
それでも言葉を当ててみるのは
自分自身のためのスケッチみたいなものなのだと思う。

 

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散ったひまわりの花びらが光を集める。
テーブルの上で見つけた小さな美。