週末の徒然

自習会

土曜日の自習会は、皆さんの様子をみたりお話を伺ったりする中で発見したことや再考したこともあり、私にとってもとても有意義な機会だった。

f:id:blissfultouch:20181111095257j:plain

 

f:id:blissfultouch:20181111165318j:plain

お心遣いありがとうございます(^^)

 

自習会の後、少しお話をさせていただく中である生徒さんがこんなことを仰っていらした。

バレエもナチュラリゼーションも、何かがわかった気になって自信を持ってやった時ほど違うことになっている。

と。

 

「わかる」ということを前にした時、私はよく生物学者福岡伸一氏の『世界は分けてもわからない』という著書の中 の「マップラバーとマップヘイター」の章に書かれていたことを思い出す。

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

Googleで検索していただければ、いくつか引用された記事もあるかと思うけれど、未知なる場所に向かおうとする時予め地図を広げて俯瞰的に全体像を捉えてから進もうとするか、周囲の環境や関係性から都度進む方向を見出していくかの違いとでもいうのだろうか。

私自身はあまり人を型に分けて捉えることを好まないし、その優劣を考える訳でもないのだが、つまり違う進み方があるということだ。

実は、マップヘイターが採用しているこの分散的な行動原理は、全体像をあらかじめ知った上でないと自分を定位できず行動もできないマップラバーのそれに比べて、生物学的にみてもとても重要な原理なのである。そして、私たちの身体が六十超個の細胞からなっていることを考えるとき、それぞれの細胞が行っているふるまい方はまさにこういうことなのである。

私たちの身体を構成している細胞自体が「究極のマップヘイター」だと氏が綴るように、私たちの生命の基礎となる細胞にはそういう働き方の原理があり、マップラバーであったとしてもマップヘイター的な働きをその内に持って生きている。

地図を持って旅するのも良い。でも、一旦地図を手放して旅してみることで見えてくる世界もあるのではないだろうか。

私はどちらの視点からも世界を眺めてみたい。

 

そうして考えると、9月の旅も地図は必要だったし、役立ちもしたが、地図を頼りにできないシーンも多々あった。地図から捉えた世界と、その場その場で捉えた世界、その両方を経験して再び地図をみる時、その地図の見え方はやはり旅する前とは違っている。

f:id:blissfultouch:20180929151501j:plain

以前旅の話になった時に、友人から「トータルでどのくらい走行したの?」と尋ねられ、そういえば走行距離のメーターを確認しないで帰ってきてしまったことに気が付いた^^;

ザグレブからローマまでの2週間近くを走り続け無事に辿り着いた安堵感で、すっかり忘れてしまっていたのだと思う。

地図上でざっくり測ってみたら、フェリーでの移動も含めておおよそ1900km(クロアチア国内➕フェリーが1159km、イタリアが719km)で、少しルートから外れて寄り道した土地もあったので、それも合わせれば北海道の端から九州の端までとだいたい同じ位だろうか。

次に海外に行くのはおそらくタイになるかと思う。

 

タイ語

月に2回のレッスンや、ホームワークとしての作文以外に、リスニングは必要になる分野のYoutubeの動画をずっと流して聴いている。友人のオススメのインターネットラジオも活用していきたいと思う。