あはいに育ち、あはいを生きる

休みになった途端に実家に呼び出され、障子張替え職人と化したりもしている昨今(笑)だが、案外そうした作業が好きだ。
と、言ってもいつもやっている訳ではないから最初の1枚はどうも手際も悪く、仕上がりもイマイチ。それでもやり続けていくと段取りも仕上がりも良くなってくる。

掃除もやり始めるととことん没頭してしまうが、大掃除は清浄になっていく空間の中で年と年のあはいにあることを実感する作業だ。

そうして身体を動かしながら、人はあはいに育ち、あはいを生きるのだということをしみじみと思う。

寝返ること、這うことができる十分な空間としてのあはい。

誰に教えられる訳でもなく、反射や反応というものにも助けられながら、立ち上がり歩くことを自ら学び取る時間としてのあはい。

親や家族、庇護してくれる誰かの元で育っていく、その人々とのあはい。

大人になっても、何らかの形で自分以外の誰かの働きに支えられながら、人と自分とのあはいを生きていくことに変わりはなく、また、どれだけ文明が発達しても食も環境も自然に支えられながら、地球という星とのあはいを生きている。

 

私にとっての平成という時代は、春に次女が誕生し冬にはタイへの赴任が決まった大きな転換期として始まり、そこで経験したことや出合ったことが、帰国してから今までの流れともなってきたような感があり、その平成元年生まれの娘が来年にはおそらく母になり、私自身も再びタイとの縁も繋がろうとしている、何か大きなフェーズとフェーズの転換期としてのあはいにあるような気がしている。

 

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