やりくり

本来その機能を果たす部位とは別の部位が、その機能を補完するように働くことを「代償」と表したりもするが、私はどうも「償」という文字が使われることに違和感がある。

「償う」「犠牲になる」そのようなマイナスのイメージがどうしても重なってくるから。

もちろんそれは好ましいことではないが、言わば身体は懸命に「やりくり」をしてきてくれていたのだと考えた時、その働きを責めるような気持ちになるだろうか。

動きを見直していくと、知らず識らずのうちの「肩代わり」のような働きに気付くことはよくある。

その時、それを「ダメなこと」や「ダメな自分」と、どこか批判的に捉えるよりも、その「やりくり」に労うような想いとともに、本来の働きや活きへとバトンタッチしていけるよう対話をしていきたいものだと思う。

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