オムツの機能性

「タッチハンガー」以来、久しぶりに三砂ちづるさんの文に触れた。

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私の子育て時代にもすでに紙おむつはあったし、使ってもいた。
ただ、最近になって時々孫の使用しているオムツに触れる機会が多くなり、その機能性の高さに隔世の感を覚える一方で、ちょっと濡れれば色が変わるお知らせラインのような機能もあるものだから、ただでさえ不快感を感じにくい肌触りな上に、赤ちゃんが不快を覚える間も無く交換されるのは果たしてどんなものなのだろうかという疑問もあった。

赤ちゃん自身が不快感を覚えるという体験から学ぶこと、そして、その赤ちゃんの不快感を全体的な様子から感じ取って察する、判断するという親側の学びの機会もまた、便利になった物が補うほどに失われていく面もあるのではないだろうかと感じた。

 

新生児用のサイズを使うのはほんのいっときだからと、娘夫婦が退院時に1〜2パックだけ購入していたのだが、「お知らせラインの色が変わった!」と頻繁に変えるものだから結局その倍くらいは消費しているのではないだろうか。

 

そういえば次女の時は1歳ごろにタイに赴任し、気候的なことも、フローリングオンリーの住環境ということもあり、多少失敗しても普通のパンツを洗濯したり拭き掃除をした方が楽と越して早々に夜寝る時以外は使わなくなってしまったし、上の子の時のようにトイレトレーニングという意識を私自身も感じることも少なく、次女は活発にハイハイもして、結果的にはオムツも取れるのが早かった。

私の記憶が確かなら、30年前のタイではオムツどころか下着もつけていない赤ちゃんのお尻に布かタオルのようなものを当てて抱っこしているお母さんを見かけもした。
(今はコンビニですら紙おむつのパックを見かけるからタイの子育て事情もまた大きく様変わりしているのだろうとは思うが)

その光景に最初こそ驚きはしたものの、排泄という事態への周囲の大人の大らかさに私自身も、また我が子も少なからず影響を受けた面もあったと思う。

 

布にすべきだというわけではないが、便利になるということはそれだけ物が機能の肩代わりをしているという面もあって、その一方では退化させている面や学習の機会を減らしている面もあるのかもしれないし、関係性を築くという点でも何かしらの影響を与えているのではないかと、今当たり前にあるモノやコトを問うてみる視点はやはり持っていたいと思う。

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