Move

今週のお題「2019年上半期」

2019年も早くも半年が過ぎ、振り返ればそれはまさに「Move」に集約される日々だったと思う。出産間近の娘夫婦に続いて実家の両親の引っ越しも先月26日に住み、その前後の1週間は怒涛のように過ぎたが、昨日両親が18年暮らした旧宅の大家さんにも立ち会って戴いて退居の手続きも完了したところで今年も折り返しだ。

まだまだ解梱していないダンボールもあったり、役所関係の手続きは残ってはいるが、何とか当座の暮らしに支障がない程度には整いつつある。

引っ越し前夜が徹夜になってしまったのは、89歳の父が自分のものは自分で梱包すると言い張って^^;(私と母に愛着のある大事なものまで捨てられると思ったのだろう)、手を出させてくれず、でも前日になっても8割がたのものは手付かずのまま、お手上げ状態で夕方を迎えてしまい、結局母と私が最後に残したキッチン周りの作業の時間を父の私物の荷造りに費やさざるをえなかったからだ。

自分が言い張った以上お手上げとも言えず途方に暮れていた父だが、見かねた母と私が「もう、私たちがやるから!」と有無を言わさず作業を始めた時のホッとしたような顔とちゃっかりパジャマを着込んで寝てしまった姿には、腹が立つとか呆れるを通り越して、もう可笑しくなってしまって、母と「こういう人よね〜^^;」などと苦笑しつつ作業をし、キッチンに取り掛かったのは2時過ぎ、何とか全ての荷造りを終えたのは6時頃だった。

そんな父を見ていて、体力的なことだけではなく、物事の段取りをつけるとか、仕分けて詰めるといった空間的・時間的配分ももう無理なのだなと思いつつ、先日読んだ本のクロノロジーからパースペクティブ、ピクチュアについての一節が思い出された。

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それは娘としては少々寂しい面もあるが、でも刻々と細かく刻まれる人工的な時間の制約から少しずつ解放されていくことのようにも思え、むしろ私たちが今いる時間の方が不自然な気もしてきた。

 

昨日、父と二人だけで過ごした時間があり、その際に父がこだわった古いスタンド照明の写真を出してきた。それはまだ鎌倉に住んでいた頃の書斎の写真で、山積みされた書類とワープロと共にそのランプが写っていた。父によれば、退職間際とても大事な会議のために2日間徹夜した際のものだそうで、父にとってそのランプはその当時の戦友みたいなものなのだと。

母に「そんな壊れかけたスタンド、捨てちゃいなさい!」と言われた時に、無言で立ち尽くしていた父の姿を思い出しつつ、父が抱きしめていたい時間を奪わなくてよかったなと感じもした。

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