再学習

「微笑み」という身体に表れるものや
「マイペンライ」という言葉にまつわる
以下のような記事があった。

 

www.link-gs.co.jp

 

ここに書かれている
・日本人が理解できない微笑み
・日本人が戸惑う「マイペンライ」
のような誤解の場面は
暮らし始めた当初は確かにあった。


何で今笑ってるの?
何であなたが「大丈夫」というの?
そんな苛立ちや、戸惑い。


自分がその時点で知っていた
マイペンライという言葉の意味や
笑顔が持つ意味を持ってそれを捉え
「コー・トート(ขอโทษ)」という
これもまた当時知っていた言葉や
申し訳なさそうな顔によって
日本人なら、こう表されるであろうというような場面で
それとは違う反応に出会ったとき
自分が持っている世界の概念を疑うことができずに
「何で」という問いの部分が
置き去りになった故の行き違いだ。

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言葉や、それに伴って持っている概念に
どれだけ縛られているかということを感じるのは
ナチュラリゼーションもまた同様であるように
語学に限ったことではない。

違う国の言葉を長い年月を経て再学習していて
言葉を知るということ以前に
自分がその言葉や
それによって捉えたり、くくっているいる世界を
いったん脇に置いたり
分かったように思っていることを
疑ってみることの大切さを
以前学習したとき以上に感じるのは
多分、暮らしていた時代以降に
経験してきたことに寄ることもあるのだろうと思う。

自分が縛られている枠組みに
風穴を開け続けて行くことが
学ぶことの面白さでもある。

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